世界39カ国に展開し、家電から人工衛星に至るまで12の事業に取り組む三菱電機。
先端技術総合研究所は、当社のすべての事業に携わる最先端技術の拠点です。
将来を見据えた先行研究に挑み、世の中を変える技術革新を目指しています。
そんな先端技術総合研究所の技術者を束ねるマネージャーに、自身の開発経験と三菱電機で働く面白さを聞きました。
  • 山本 和男(左)
    PROFILE
    2006年中途入社。博士(工学)。
    磁石を使用せずに陽子ビームを収束・加速させるAPF方式の加速器を世界で初めて製品化し、R&D100 Awards、日本加速器学会技術貢献賞、近畿地方発明表彰等を受賞。 2016年以降、電機システム技術部磁気応用・加速器グループマネージャー、電機システム技術部機構制御モータ技術グループマネージャーとして活躍。日本原子力学会における加速器・ビーム科学部会運営小委員会の運営委員を務める。
  • 桑田 宗晴(右)
    PROFILE
    2002年中途入社。博士(工学)/技術士(応用理学部門(物理及び化学))/弁理士/中小企業診断士。
    レーザー光源を用いた民生用ディスプレイとして世界初となるレーザーTVの光学系開発を担当。2017年よりオプトメカニズム技術部投射技術グループマネージャー。応用物理学会微小光学研究会、日本光学会レーザーディスプレイ技術研究グループの実行委員等を務める。

先端技術をエンドユーザーに届けたい。

山本:
2006年に三菱電機へ転職した私が、最初に取り組んだテーマは切開をしなくてもがん治療ができる放射線治療装置の研究開発です。将来の新事業の芽となる研究開発に取り組む先端技術総合研究所では、挙手制で研究したいテーマに取り組むことが可能。以前、ポスドクとして勤めていた研究所でも放射線治療装置の研究に取り組んでいたこともあり、知見が活かせるテーマに手を挙げました。成功すれば世界初となる試みだったのですが、当初私の頭の中にあったアイデアは飛び抜けていたようで…。様々な知見を持った経験豊富な先輩方と話し合いを重ねながら、実現できるところまで落とし込んでいきました。そして何とかプロジェクト化へとこぎ着け、研究開発が本格的にスタート。開発、設計、品質、製造、営業、各分野のスペシャリストで構成される20名程度のプロジェクトチームで、それぞれが密に連携を図りながら開発を進めていきました。自分の手掛けた製品をエンドユーザーに届けたい。そんな想いを抱いて三菱電機に転職したこともあり、製品化に至るまでの全工程に参加。プロジェクトの指揮をとりました。

多くの支えのもと受賞した、R&D100Awards。

山本:
研究開発の経験しかない私にとっては、製品開発に向けたほとんどの工程が未知の領域。特に苦労をしたのは、製造を手掛ける現場スタッフとのコミュニケーションでした。製造の知識がないため、指示をうまく伝えることが難しい。最終的には上長から許可を得て現場に半年間張り付き、ともに開発に臨むことで信頼関係を構築。無事に製品化へとこぎ着けました。論文化を目指していた研究員時代に比べ、製品化は耐用年数分だけ安定的に使用される必要があります。品質管理の厳しいチェックをクリアして納品に至ったものの、医療の現場で無事に利用されるまではドキドキしました。
この研究開発は後にR&D100Awardsにも選出。アメリカで開催された授賞式にも、生まれて初めて袖を通すタキシード姿で登壇しました。このような機会をいただけたのは、プロジェクトに関わったメンバーや、賞への応募をサポートしてくださった上司のおかげ。互いに支え合い、高め合う風土がある三菱電機だからこそ受賞できたわけであり、マネージャーとなった今ではメンバーにも同じ経験をさせてあげたいという想いが強くあります。

総勢100名以上が関わるビッグプロジェクト。

桑田:
山本が語るように、私たちが携わるのは研究開発工程だけではありません。製作所や協力会社をはじめ、社内外の多くの人と関わり、組織や工程を横断した研究開発を進めていきます。私自身も、多くの人と関わり、成功や失敗を経験することで成長を重ねてきました。これまでに携わった仕事の中で、特に印象に残っているのはプロジェクションテレビの研究開発プロジェクトです。今でこそ液晶や有機ELテレビが主流ですが、それらが登場するまでは大型テレビと言えば投射型のプロジェクションテレビでした。私が挑んだテーマは、投射光学系の薄型化と小型化。同テレビは筐体サイズが非常に大きく、画面サイズが65インチであれば、厚みも65cm必要でした。当初は放電ランプを光源に用いて薄型化・小型化に挑み、業界最高となる半角80°の画角を持つ超広角投射光学系を開発して薄型化は達成したものの、小型化に関しては目標仕様に届かず製品化は叶いませんでした。その後、当時小型化・高出力化が進んでいたレーザーに光源を切り替え、その指向性の高い光源に対応して光学系を最適化することで薄型化と小型化の両立に成功。その結果、レーザーを光源に用いた民生用ディスプレイとして世界初となるレーザーTVの製品化が実現しました。研究開発にあたっては生産拠点となる京都製作所をはじめ、情報技術総合研究所や生産技術センターとも連携。さらには、民生品ということでデザイン研究所とも協力しながら開発を進めていきました。開発に関わったメンバーは研究所や製作所、海外拠点を合わせて100名は超えていたと思います。当時はまだ三菱電機に転職して日が浅く、量産品を手掛けるのは初めてだったこともあり、そのスケールの大きさに驚きました。

初めから終わりまで、最前線でモノづくりを支える。

桑田:
なかでも思い出深いのは、映像の品位を決める非球面ミラーの量産工程。このミラーをいかに高い精度で量産できるか。それがプロジェクトの成否を左右する大きな要素の一つでした。そこで私はミラーの製造を依頼していたメーカーに、京都製作所の技術者とともに何度も出張。現地に泊まり込み、試作を重ねる等しながら、製品を仕上げていきました。このように、現場の最前線で泥臭くモノづくりに取り組むのも私たちの仕事です。当時、世界初となったレーザー光源を用いたプロジェクションテレビは過去のものとなってしまいましたが、現在はそこで培った光学技術を車載用の映像機器や照明機器の分野に応用。安心・安全・快適な車社会の実現に向けた研究開発を進めています。
桑田:
このように常に新しい技術に挑戦し、技術を高めていけるところも先端技術総合研究所の魅力です。個々の能力開発の支援も手厚く、私自身も入社後に博士号を取得しました。会社からの支援もありますが、私が博士号を目指すようになった一番の要因は先輩の存在。どこまでも貪欲に技術を磨き続ける。モノづくりに全身全霊を捧げる人たちからの刺激が、自身の成長に繋がり、三菱電機全体の技術の底上げに繋がっています。

山本:
いま、社内に点在するコア技術を、事業横断で活用しイノベーションを起こそうという取り組みが進んでいます。ますます面白い仕事ができるようになるはずです。